何で、日本ってこんなに漫画が根付いたのでしょう?
アメリカだと大人が漫画を読んでる光景ってほとんどないみたい。
日本も昔は子供の読み物だった。
でも、今は子供の漫画離れが進んでいて、漫画雑誌のターゲットの読者層も上がってるらしい。
これはいわば、漫画は大人の読み物になってきたのかも。
そんな全ての年代に受け入れられた漫画は日本で大衆文化になっていった。
日本でこれほど漫画が発達していった理由をネットで調べてみた。
日本の漫画の発達のきっかけは少年誌の登場だった!
今でも、一番漫画賞が多いのは少年誌。
それは、子供のころから漫画を身近なものにして漫画界を盛り上げて生きたいという、日本の漫画界の願望があるように思える。
日本でも漫画は子供の読み物
アメリカの漫画の主な読者層はローティーン。
ハイティーンになっても漫画を卒業できないと蔑視対象とされてしまう国民性らしい。
だから、アメリカでは暴力行為や性描写には強い規制がかけられている。
その点、ヨーロッパでは漫画はアートの分野に属されるという。
だから、ヨーロッパでの漫画の読者層は漫画を好きな人だという。
日本でも、以前はアメリカと同じく子供の読み物だったのは変わらない。
ではなにが漫画を発達させ大人も読める大衆娯楽になっていったのだろうか。
紙芝居屋登場で借り出された漫画家たち
1930年(昭和5年)に街頭紙芝居屋が街に登場してくる。
紙芝居屋の目的は駄菓子を売ること。
そのため客寄せとして紙芝居を使って子供たちを集めて紙芝居を見せていた。
そこに作品を提供していたのが、漫画家たち。
その中には白土三平、水木しげる、小島剛夕などがいた。
そんな中、貸本屋が出てくる。
貸本屋の登場で日本の漫画界が活性化
昔、子供が漫画本を買えるほどの余裕のある家庭はなかなかなかった。
今でもCDとかビデオのレンタルがあるからそれと同じイメージ。
1960年代(昭和35年あたり)、単行本一冊の値段は220~240円。
当時の1円=現在の10円の価値として考えてみると、単行本一冊が2000円位の価値。
大人になると、そうでもないけど、子供にとっての2,000円ってとても高価。
でも、貸本屋だと、一泊二日で10円。
貸本専門の出版社があって、そこ専門に描いてた漫画家も多かった。
主な漫画家は白土三平、さいとう・たかを、水木しげる、平田弘史など。
1940年代末頃に貸本漫画が活性化してさまざまな作品が出てくる。
その中から、従来の少年向けの漫画から、リアルな物語の内容や構成に少しづつ変化していく。
この頃から貸本劇画というジャンルが確立されていった。
1950年代末から1960年頃が最盛期。
ここら辺から漫画界の発達の助走となる。
日本初の週刊少年漫画雑誌の登場が発達のきっかけ
まず動き出したのは小学館。
その動きを察知した講談社もあとを追って週刊少年漫画雑誌の創刊に向けて動き出した。
そして、1959年3月17日の水曜日に日本で初となる少年漫画雑誌を同時に創刊したのが、週刊少年サンデーと週刊少年マガジン。
サンデーは35万部、マガジンは20万5,000部を発行。
サンデーは、学習雑誌でつながりのあった手塚治虫の執筆を取りつけた。
その他にも学習雑誌で活躍していた藤子不二雄・寺田ヒロオなどのトキワ荘グループを獲得。
創刊時の連載漫画作品は
サンデー
- 手塚治虫のスリル博士
- 寺田ヒロオのスポーツマン金太郎
- 藤子不二雄の海の王子
- 益子かつみの南蛮小天狗
- 横山隆一の宇宙少年トンダー
マガジン
- 高橋よしてるの13号発進せよ
- 忍一兵の左近右近
- 山田英二の疾風十字星
- 伊東章夫のもん吉くん
- 遠藤政治の冒険船長
この二誌とも、全てが漫画ではなかった。
この少年漫画雑誌の登場が今後の日本の漫画界の発達のきっかけとなる。
日本の漫画を劇的に発達させた少年誌!
貸本専門の出版社も登場するほど、貸本漫画が盛り上がり多くの漫画家たちが台頭してきた。
そこに金のにおいを感じた出版社が少年漫画雑誌を創刊した。
そこから、日本の漫画界を発達させていく人材、漫画が続々と登場してくることになる。
日本の漫画界の流れを変えた白土三平
忍者ブームの火付け役となった横山光輝の伊賀の影丸、赤塚不二夫のお松くんなどの連載で1960年代までサンデーが一歩リード。
ギャグのサンデーに対して、マガジンはストーリーで対抗する方針を固める。
苦境打開のために、関西の貸本劇画で活躍していた作家を続々起用していく。
白土三平など。
それと同時に少女漫画作家からちばてつやを起用。
貸本劇画出身の白土三平は、サスケ(少年)、ワタリ(マガジン)といった作品はいずれも少年向けとは言いながら、歴史考証や時代背景をリアルに描写していく。
この白土三平の出現によって漫画界が大きく発達の原動力となっていくことになる。
少年誌の競争が日本の漫画を発達させた!
66年に巨人の星(画:川崎のぼる、原作:梶原一騎)、67年にはあしたのジョー(画:ちばてつや、原作:高森朝雄(梶原一騎))が連載開始。
68年には少年ジャンプ(集英社)が創刊。
後発だったジャンプは大手にベテラン作家を抑えられてしまったため、新人作家の起用に踏み切る。
その結果が功を奏し、男一匹ガキ大将(本宮ひろ志)、ハレンチ学園(永井豪)がヒットし少年漫画界を盛り上げていく。
これらの漫画のヒットが、大学生にまで読者層を拡大させていった。
この頃から雑誌が月刊から週刊へと変わってくることで、駅の売店でも売られるようになり、漫画雑誌が容易に手に入るようになってくる。
それと並行して、出版社は部数を伸ばすためにアニメ化にも力を入れ始める。
漫画とアニメの相乗効果で60年代、70年代には漫画は子供の娯楽代表になっていく。
これらの少年漫画の大ヒットが従来のターゲットだった子供から大学生にまで読者層を広げていった。
少年誌で日本の社会問題を追及!
アシュラ(マガジン)、銭ゲバ(サンデー)、光る風(マガジン)など社会問題を追及するような作品が少年誌に掲載され始める。
その結果、20歳を過ぎても漫画を読むことが蔑視対象ではなくなってくる。
少年漫画の大ヒットで読者層を大学生にまで広げ、社会問題を扱った漫画の登場で、大人にまで徐々に読者層が広がっていく。
青年誌の登場が漫画を日本に根付かせた!
大人も漫画を読むようになってくると、週刊漫画アクション(双葉社)、ビッグコミック(小学館)、プレイコミック(秋田書店)などの青年誌が続々創刊。
漫画が大人も読める物になってきた結果、商業的に成り立つようになる。
日本の漫画界の発達に嘆き
こうして、漫画は大いに発達していき大衆文化になっていった結果。
続々と映画やドラマの監督、脚本家、小説家になりうるべき才能がこぞって漫画に流れてくるようになった。
映画が斜陽になってきた時期に、有名監督が
”本来映画を作るべき才能が全て漫画にいってしまう…”
と嘆いたという。
ここまでの、漫画界の流れを知ると、今の先細って行く感じの漫画界は自然の流れなのかな。
漫画はもう役割をもう果たしたのかもしれないという思いも出てきた。
この先の漫画界はどうなっていくんだろう…
日本の漫画界の発達の理由まとめ
- 漫画を卒業できない大人は蔑視対象
- 紙芝居や貸本に作品を提供していた漫画家
- 貸本劇画が漫画をリアル思考に
- 大ヒット漫画が読者層を大学生に拡大
- 少年誌で社会問題を扱い始める
- 青年誌の登場で大人も読める物へ
こうして発達していった日本の漫画界はこの先どうなっていくんだろう。
この先どうなっていくかはわからないけど、漫画は大衆文化から好きな人向けになる。
そして、諸外国のように週刊誌、月刊誌ではなくて、単独作品の単行本発売になっていくのかもしれない。
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